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月刊「現代農業」/2019/9/5 16:10
http://www.ruralnet.or.jp/syutyo/2019/201910.htm

農家とともに80年 先輩たちに学んで、元気に稲作談議を/

 目次
農家も農文協も燃えた「稲作運動」
「への字」の井原豊さん
水田の力 イネの力を信じる
への字稲作は技術ではなく、稲作に対する考え方
「ただどり稲作」という環境保全型イネつくり
r> 百姓の経験を鼓舞した「表現者」

 農文協は来年3月、おかげさまで創立80年を迎える。敗戦の混乱のなかで事実上崩壊した農文協が、残された職員によって再建され、ここから農家に役立ち支持される「出版による運動」をめざして活動がスタートした。

 その中心にイネと田んぼがあった。農文協再建以来、イネと田んぼは、農家と農文協の元気の土台・源泉であった。

80周年を迎えるにあたっての標語は「農家とともに80年」。この機会に農文協は大小の稲作本を発行する。年明け1月発行予定の箱入りの大型本『イネ大事典』のほか、本号190ページで紹介したように、今、改めて注目される井原豊さんの「への字稲作」3部作の復刊などである。

 稲作の大規模化が進み、一方で中山間の田んぼをどう守るかが課題になるなかで、イネと田んぼを「元気の土台・源泉」として次代にどう引き継ぐのか。ベテランから新規就農者まで、大規模・法人農家から小規模農家まで、平場から中山間地まで、農家から地域の行政・団体まで一緒になって「稲作談議」を進めたいと思う。

農家も農文協も燃えた「稲作運動」

「稲作運動」とも呼べるくらいに農家も農文協も燃えて、イネつくりが盛り上がったことが、これまで何度もあった。

 まずは、昭和30年代後半から40年代初頭にかけて、全国的な動きになった「片倉イナ作」である。元肥重点であとは水管理ぐらいしか手の打ちようがなかったイネつくりに対し、山形の片倉権次郎さんは、元肥を減らし、穂肥、実肥と追肥していく追肥重点のイネつくりで安定増収を実現し、地域で注目されていた。村を回っていた農文協の普及職員もこれに注目し、そこから『現代農業』で追究が始まる。ポイントとなる時期(出穂30日前)をすえて技術を仕

組んでいく片倉さん。編集部では、片倉さんの話を聞いて、田んぼを見ながら前期・中期・後期の三つにイネのステージを分け、育て方のイメージ・目標を整理。わかりやすく、農家が自分なりに応用できる記事づくりに努めた。その反響は大きく、片倉さんの田んぼには多くの視察者が訪れ、この全国的な増収運動は、当時、現実味を帯びていたカリフォルニア米の輸入を阻止する力にもなった。『現代農業』の読者も増え続け、『誰でもできる五石どり』なの単行本やスライドとあわせ、農文協は農業技術出版社として確かな土台を築くことができた。

 その後、昭和40年代には田植え機が広がり、45年には米余りを理由に「減反政策」が開始された。しかし50年代に入り不作が続き、米不足をひた隠しにしていた政府は昭和59年5月、電撃的に「韓国米輸入」を発表することになる。

 この米の不作は、天候のせいだけでなく、密植・多肥によるイネの弱体化によるものだと農家は見抜いていた。農文協では田植え機稲作の改善技術を農家とともに追究。スライド『安定イネつくりシリーズ』や単行本『あなたにもできるコメの増収』などを発行した。『安定イネ』は定価4万円と当時としては高価なスライドだったが、2000本を超えて普及し、各地で開かれた上映会では、過密・細茎で苦しんでいるイネの姿をみんなで見ながら、稲作談議が熱心に行なわれた。

 やがて、疎植栽培、深水栽培、井原豊さんの「への字イナ作」など、農家の個性的な増収技術が花開き、『現代農業』は次々に記事を展開、単行本も発行していった。

「への字」の井原豊さん

 今月号では「今、への字稲作に大注目」という特集も組んだ(172ページ)。千葉県の農家・長谷川精一さんの語りに、への字稲作と井原豊さんの魅力を改めて思うことができる。現代の稲作談議に大いに役立てていただきたい。

 井原さんが『現代農業』に初めて登場したのは1980(昭和55)年9月号「平均年齢四八歳の"四Hクラブ"」の記事だった。「減反だ、米とるな」の政策に対して、「私ら中年のレジスタンス。米をたくさん穫るのは非国民だ、なんて言うのはパン食商工業民族であって、われわれと同じ民族ではない」と喝破した井原さん。イネの力を信じ、もっとおおらかにイネを育てようと訴えた。そのアピールは「への字」に育った太茎の痛快かつ豪快なイネ姿とともに、多くの農家を惹きつけていった。

 井原さんが亡くなって22年がたつ。享年69。その早すぎる死を悲しみ、追悼する本『井原死すともへの字は死せず』が1998年に、追悼集刊行会(事務局・山下正範)によって刊行された。そのなかで、橋川潮さん、稲葉光圀さん、宇根豊さんが、井原さんから学ぶこと、引き継ぎたいことについて長文で本格的な考察をしている。20年以上前の文章だが、今読んでも示唆に富む。

 10月に復刊する「への字3部作」のそれぞれに、これらを再掲載するが、以下にも若干、紹介してみたい。

水田の力 イネの力を信じる

 橋川潮さん(滋賀県立大学名誉教授・故人)は、V字理論を真っ向から批判した数少ない研究者の一人である。追悼集での「水田の力 イネの力を信じる『への字』」と題する文章は、「私がV字理論ではコメがとれないという疑問をもち始めてからやがて三十年近くにもなる」という書き出しで始まる。昭和40年代の前半、滋賀県農業試験場の作物主任だった橋川さんは、増収技術開発のリーダーとして仲間とともにV字理論に基づく研究を進めたが、いくら頑張っても安定多収の道は拓けない。そんなとき増収プロジェクト試験のなかで興味深いイネに出くわした。元肥チッソなし、移植後33日に初めて追肥したイネで、穂数こそ少々少ないものの穂は大きく10%の増収。この試験からやがて、元肥半減、2回追肥の「滋賀方式」が生まれ、この普及で滋賀のコシヒカリは倒伏がめっきり減ったという。

 こうした経験から橋川さんが重視したのは「水田土壌のすばらしい生産力」であり、これを「100%活用する」こと。中期にチッソを中断するV字稲作は地力を邪魔もの扱いしている。地力を活かさず肥料に頼るイネは天候不順や病害虫に弱い。そこで、橋川さんは、水田地力のすばらしさを知るために「無肥料栽培の試し田をつくろう」と強く呼びかけた。「一度、無肥料でイネをつくってみたら。そうしたら水田の地力の偉大さを知ることができるでしょう。あといつ、どれだけ肥料をふればよいかということをイネが教えてくれるでしょう」

 井原さんも無肥料栽培を勧め、その育ち方について『現代農業』でこう書いている。「田植えして一ヵ月か四〇日ぐらいは淡い色で見すぼらしい育ちだが健康そのもの。分けつ本数はちょっと少ないがけっこうとれている。出穂五〇日前から四〇日前ごろにかけ地力が効いてきて、無肥料なのによくできてくる。そして出穂三〇日前から二〇日前にかけていい色してグングン育つ。病気のケは全くない。出穂前、止葉が出そろったころは、さすがに色がさめてくる。そのままほっとくとほんときれいな穂が出て、きれいに登熟する。日を追うごとに鮮麗な熟色になってくる」

「こんな育ちが『への字型稲作』の原点である。最初から多収をねらわないで。イネに好きなように生育させて。いっさい人が生育をコントロールしないで。勝手に育って勝手に稔る。それがイネの力である」

 イネの力を基本にすえ、あとは地力しだい。地力はあったほうがいいが、なくてもいい、というのが井原さんの口癖だった。ないものねだりはしない。地力が高く中期に地力チッソが充分に発現すれば、黙っていてもへの字になる。地力がないところは中期追肥で補なう。それだけのことだと、井原さんはシンプルに考える。

 一方、研究者の橋川さんは、田んぼの養分収支の研究成果をもとに、田んぼは水を貯めることで有機物の消耗が少ない。そのうえワラを全量すき込み、収穫によるチッソ分の持ち出しが少ないから、水田地力をもっと信じ、活かすべきだ、と主張した。

 ところで現代、転作に伴う乾田化などで水田の地力が低下しているという声も聞かれる。今、田んぼの地力どう考えるか、稲作談議のテーマの一つだと思う。

への字稲作は技術ではなく、稲作に対する考え方

 橋川さんは末尾でこんなことを書いている。

「彼(井原さん)は会うたびによく、『自分はほうぼうで話をしてきた。たいていはわかってもらえたと思う。ところが、ほとんどは実行には移してもらっていないんだ』と嘆いていた。私はそれでいいのではないかと思っている。少なくとも、多くの稲作農家の共鳴を得ているのに違いないのだから」

 井原さんは、官製技術を批判しながら、返す刀で「実行に移さない」農家仲間を何度も叱咤した。「多くの百姓友人に会うたびに、たくさんの肥料を大胆に入れた自慢話を聞かされて悲しくなる。肥料を入れなかったことを自慢するヤツがおらんのだ。肥料がコメをとるんじゃない。天候がコメとるんや、ということがわからんのが百姓で、稲作熱心な人ほど肥料を多く入れたがる」

 だが、実行に移した農家も間違いなくたくさんいる。そして、井原さんのイネの見方を面白いと思う農家はもっとたくさんいる。今月号の長谷川精一さんも、への字稲作は「他の先生が書くような『技術』じゃなくて、稲作に対する考え方を言ってるんだよな。への字は技術じゃない」という。

「ただどり稲作」という環境保全型イネつくり

 稲葉光圀さん(民間稲作研究所代表)による追悼文は、「二十一世紀稲作の主流 環境保全稲作の基礎を築いたへの字稲作」と副題にあるように、「環境保全型農業」推進の立場から「への字稲作」の価値を考察している。

 井原さん自身は、環境保全型とか安全性から無農薬栽培にこだわるような言い方をしていない。肥料、農薬を徹底的に減らし、低コストでお金を残し経営を守ることが井原さんの眼目だった、井原さんの処女作の単行本は『ここまで知らなきゃ農家は損する』。井原さんが一番問題にしたのは、肥料や農薬、機械など、資材の買い方使い方で農家は大変損しているということ。資材の使い方を教える本はあるが、資材の減らし方を教えてくれる本はない。ならばということで本書が生まれ、「目から鱗」と好評を博した。

 徹底して低コストをめざすへの字稲作は、当然「環境保全型」で、これを稲葉さんは栽培技術論として整理し、さらに最大の課題として除草問題を検討している。「への字ならできる低コスト・省力除草はまだ確立されてはいないが、その可能性が見えてきたのも事実である」

と、当時話題になっていた除草剤を使わない農家の工夫を検討。一番効果的なのは、田植え直後からの深水管理だとしたうえで、井原さんの「前半は満タン管理、後半は間断灌水」に期待を示している。これに耐える苗つくりとあわせ、これも現代の稲作談議のテーマとなろう。

 環境保全型を支える有機物循環についても考察している。

 井原さんは年を経るにつれ、「ただどり稲作」を追究していった。硫安一発追肥であとは何もやらないのが一番低コストな方法とは言いながら、井原さんが最後に追い求めたのは、地力のある田んぼで苗を植えたら、収穫まで一度も田んぼに入らないイネつくりである。一定の有機物施用が必要になるが、手間も含めて金はかけない。「道路沿いの条件のいい田んぼは畜産家がワラと交換に牛ふん堆肥をふってくれるし、青刈麦や青刈大豆、野菜跡などで無肥料タダ取り稲作となる次第」と井原さん、モミガラもどんどん入れようと訴えていた。稲葉さんはこう記している。

「井原氏は『それを生のまま投入することが一番効率がいいのであって、堆肥にしてカスばかり入れる必要はない』と強調されていた。生のまま入れると『田植え直後からすごいガスがわくが、これのおかげでへの字に育つ』といい切り、田んぼでの有機物循環で十分な低コストつまり小資源稲作が可能であることを実証されたのである」

 稲葉さんはこう結んでいる。「小資源稲作も環境保全稲作も、そして火山灰土壌における多収穫栽培も、寒地稲作の限界突破も(井原さんのへの字稲作の)延長線のなかに、足がかりがあることを確認してペンをおきたい」

百姓の経験を鼓舞した「表現者」

 元福岡県の普及員で、減農薬運動の推進役を担った宇根豊さんは、「井原豊は何の扉を開いたのか」と題し、「表現者」としての井原さんに焦点を当てて記述している。なぜ、井原さんが書く記事や単行本が農家の心をつかむのか。

 宇根さんは「百姓の書く本」をめぐってこう記している。

 農家が自分の技術を表現するとき、学者をまねて科学で記述するか、さもなくば自分の田や経験に限って記述することになるが、「井原さんは後者を選びながら、悪戦苦闘することになる。何より井原さんの体験は土台技術(田の地力や稲の生育を見る目)の豊かな百姓によって試されることになった。その結果は井原さんにはねかえる。井原さんは立ち往生してしまう。なぜなら、自分の田とは全く立地条件も、環境も、手入れする人間も違う田の稲に、そっくりそのまま自分のやり方があてはまらないことを知るからである。にもかかわらず、多くの百姓がへの字稲作をその人なりに解釈して、参考にして、噛み砕いていっている様をみて、自信を深めるのだった。だから『痛快コシヒカリ』の内容は、過激ではあるが、断定はしない。曖昧な(幅をもたせた)表現が増えていく。井原さんのすばらしさと、すごさがそこにある」。

「自分の稲作実践を、『理論』として表現せねばならないという自覚」をもった井原さん。「しかし、科学の言葉を借りるわけにはいかない。幸い、官製技術の科学的な表現の胡散臭さにうんざりしていた百姓の支持によって、井原さんの表現は磨かれていくことになる。『への字』という表現こそ、そうした新しい息吹を感じさせる言葉ではないか」「『への字』は、ついにこう表現される。『堆肥だけで土地を肥やして自然栽培するとへの字に育つ。また、減反田に自生したイネを見てもへの字に育っている』。への字の理論的な根拠を、とうとうここにまで持っていく。これが表現法なのだ。これが思想形成というものだ。井原さんはへの字を固定化(マニュアル化)しないで、(といっても、いくつかパターンは示しつつも)ぜひ自分の田で試してほしいと、何回もくり返している。だって、イネの本来の育ち方がそこにあるではないかと、懸命に『官製の科学』に対して、百姓の経験を鼓舞しているのだ」

 井原さんの記事や単行本や講演は、農家がもつ「土台技術」を刺激し、活発な稲作談議を巻き起こした。それは、片倉権次郎さんの経験を「片倉稲作」として形にしたかつての『現代農業』にも、過密で苦しむイネの実態と要因を農家とともに追究したスライド『安定イネつくりシリーズ』にも通じている。その流れは今も、毎月の『現代農業』の農家の技術記事にある。「農家とともに」とは、そういうことなのだと思う。


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