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月刊「現代農業」/2018/12/3 18:10
http://www.ruralnet.or.jp/syutyo/2019/201901.htm

三つの元気な事例にみる 地域を守り創る「半市場経済」/

 目次
◆市場経済の水面下にある世界が活発化している
◆奇跡の集落——廃村寸前「限界集落」からの再生
◆「共創」で地域に新しい事業が生まれる
◆農家組織から地域組織へ 無茶々園の挑戦
◆危機を救った半市場経済 JA甘楽富岡

 新しい年が、日本の農業や地域を揺るがす危険な動きとともにやってくる。2018年末にはTPP11が発効し、新年・2019年明けからは、日米の物品貿易協定(TAG)交渉が本格化するだろう。このTAGの危険性と政府のごまかしを広く知ってもらいたいと、農文協では『農業協同組合新聞』との共編で緊急ブックレット『許すな! 農業つぶしの屈辱協定TAG』(仮)をまもなく発行する。

 日欧EPAも発効の見込みで、日本は「総自由化」体制に大きく舵を切る。この「総自由化」時代をどう生きるか。

 市場経済がますます暴走して社会に困難をもたらし国民国家までその従属物と化す「総自由化」。これに対し、哲学者の内山節さんは、市場経済の勢いが増すほど、「半市場経済」にむけた活動が活発化するという。この「半市場経済」を手がかりに、農業・農村・地域を守るにはどうするかを考えてみよう。

市場経済の水面下にある世界が活発化している

 内山さんは『内山節著作集』の最終配本『増補 共同体の基礎理論』に新たに書き下ろした文章のなかで、自分が住む群馬県上野村の役場、農協、森林組合、キノコ組合、観光産業などを運営する第三セクターが連携して、農林業を基本にした新しい基幹産業づくりと新規雇用の創出に取り組んでいるようすを紹介したうえでこう述べている。

「今日の社会は、水面上では市場経済が猛威を振るっている。だが水面下では、都市のソーシャル・ビジネスであれ、上野村のような山村の地域づくりであれ、共通する方向性が生まれはじめている。経済は経済、社会は社会、文化は文化というようなかたちで分解していった時代から、もう一度すべての要素が一体化され、その総合性のなかに自分たちの生きる場を築いていこうという試みが、さまざまなところで展開しはじめたのである」

 こうした市場経済の水面下にある世界を、内山さんは「半市場経済」と呼び、その特質についてこう述べる。

「ビジネスの目的は利益の最大化ではない。よりよき社会をつくることに貢献する。そのことによってよりよき生き方を創造する」(『半市場経済』2015年角川新書)。

 また、内山さんは「現代社会には三種類の経済が併存している」とも述べる。第一は市場経済、第二は非市場経済、そして第三が、市場を活用してはいるが市場原理だけで営まれてはいない経済、「半市場経済」である。市場経済一色に見えても、自然との関係と人間同士の関係で成り立つ経済は、この三つの「複合経済」であることに変わりはなく、そして、今日の異常なほどに強まる市場経済のもとでは、半市場経済への動きも新しい形で活発化すると内山さんはとらえる。

「半市場経済」と同じような意味で内山さんが使う言葉に「半商品」がある。市場で売買されているけれど、それをつくる側も、購入する側も商品であることを超えた使用価値をみいだしている「商品」のことだ。

 農家がご近所や親戚におすそ分けする農産物は商品ではないが、これを直売所で値段をつけて販売すれば商品となる。しかし、そこにはおいしいものを届けたいと思う農家(売り手)と、その気持を大事に思う買い手の交流がある。直売所は「半商品」が行き交う「半市場経済」の世界である。

「半商品」といってもいい加減な商品ではなく、丁寧につくれた商品である。農産物に限らず、企業が行なう日本の「ものづくり」には、そんな半市場経済が息づいていた。最近、大企業が品質管理をごまかすなどの事件が頻発しているなかで、製品の品質にこだわり、納得のいくものを世に送りだしたいという職人や企業人の姿を描いたテレビ番組が人気を呼んだりしている。「いまだけ、オレだけ、カネだけ」という風潮、市場原理主義が蔓延するほど、人々は半商品、半市場経済の世界を求め、その気持は次世代を揺さぶり、働きがいや生きがいを自然や人間との関係性のなかで生み出したいと思う若者が増えている。田園回帰はその現れであり、単なるブームではない。

奇跡の集落——廃村寸前「限界集落」からの再生

 しかし、半市場的な経済活動は一筋縄ではいかない。内山さんは先の『半市場経済』のなかでこう述べている。

「半市場経済的な動きとして成立してきた新しい価値を多様につくりだす試みは、実際にはたえず壁にぶつかっている。持続するためには市場経済的にも成立していなければならないが、そのことを重視すれば志が曖昧になり、逆に志だけで動けば経営の持続が困難になる。社会とのつながり方、ともに働く仲間との関係のつくり方も定まったモデルがあるわけではない。ゆえに、たえず動揺を繰り返しながら模索を繰り返していくのが、この経済活動である」

 そして、その模索はマイナスイメージで語る話ではないと内山さん。なぜなら、「半市場経済的活動はたえざる創造、新しい価値のたえざる共創とともに展開するものだからである」。農文協では、そんな「たえざる共創」のプロセスをリアルに描いた新刊を2冊発行した。

 一つは、『奇跡の集落—廃村寸前「限界集落」からの再生』(多田朋孔、NPO法人地域おこし著)。本書の舞台は新潟県十日町市の池谷集落。田んぼと養蚕と林業を生業とし、1960年(昭和35年)には37世帯211人だった集落は、養蚕の衰退や木材輸入のなかで急激に人口が減少し、2004年の中越地震に見舞われたあとは6世帯13人。親しくつきあっていた隣の入山集落がすでに廃村状態になっていて、そのうえ大きな地震の被害に襲われ、誰もが廃村を覚悟した。そんな集落が震災ボランティアや地域おこし協力隊、そして行政の支援のなかで11世帯23人まで盛り返したのである。そこには「地元の農家」と「よそもの」、そしてその中から生まれた「移住者」が、悩みや希望をぶつけ合いながら「むらを残したい」という気持を共有していく根張り強さとアイデアにあふれる取り組みがあった。

 ボランティアの若者は震災で崩れた田畑の修復に取り組み、草刈りなどの農作業や雪おろしを手伝い、そして地元に負担にならないように、ボランティアが地元民をもてなす「交流会」がたびたび開かれた。農家の案内で集落を歩き「池谷・入山“宝探し”マップ」をつくり、30年ぶりに盆踊りも復活し200人が集まった。

 そんな活動のなかで生まれた集落の存続への想いを土台に、今後の仕事・経済活動に向けた話し合いが進められ、村全体を法人化し、集落の米を「山清水米」と名付けて全量直販することにした。その販売や宣伝をボランティア団体が支援する。加工品事業にも着手し、山清水米の白がゆなど地元の食材を委託加工でレトルトパウチにして販売する。さらに手が回らずに困っていた集落の田んぼ1町を借りて耕作を受け継ぎ、作業受託も始め、集落ぐるみの営農組織として活動するようになった。若い移住者むけ住宅「めぶき」も建設し、起業支援の研修などを行なう起業セミナーの開催など、活動の輪を広げていった。

「共創」で地域に新しい事業が生まれる

 2010年にはボランティア側の提案を受けて「自立式」が行なわれた。まだまだ課題が山積するなかで支援がなくなるのかと集落の人々は心配したが、「これまでの支援する側・される側という関係ではなく、対等の立場で今後も関係を継続しましょう」という話に納得し、自立式では集落長の庭野功さんがお礼の言葉を述べた。

「多くのご支援の皆さんとの協働作業により、村の中の景色が目に見えて変わってきたことはもちろんのことです。そして協働作業を通じて、住民同士がお互いに顔を合わせる機会が増え、またこれまでほとんどなかった外から来られた方と住民とが触れ合う機会が増え、助け合う気持ちが今まで以上に増し、地域全体の雰囲気もとても良い方向に変わっていきました」

 地域おこし協力隊として池谷集落に家族で移住し、本書を執筆した多田朋孔さんは、こう記している。

「私は、会社員のときは営利事業に取り組む人たちと日々接し、池谷集落に移住してからはNPOやボランティアなどで社会的な活動に取り組む人たちと日々接してきました。かなり極端にまとめると営利事業に取り組む人たちは資金をもっており、収益を上げる方法論やノウハウをもっています。その反面、現場の人たちは仕事のストレスで、メンタルヘルスに関する課題もでてきています。社会的活動に取り組む人たちは資金に乏しく、ボランティアで採算度外視で運営されてるケースが多い反面、現場の人たちは想いややりがいを強くもっています、この両者がうまくつながって、連携して新しい事業を行なっていくことで、単なるCSR(社会貢献)としてではなく、事業として社会的な価値を生みだすことに関わる人が増えるような仕組みづくりがつくれたらと思います」

 ボランティアと営利的発想が地域でつながるとき、地元の人々による新しい事業が生まれる。そんな「共創」が池谷集落を「奇跡の集落」にした。

 本書の解題で、小田切徳美さん(明治大学)が、池谷集落の「足し算と掛け算のプロセス」にふれている。足し算のプロセスはコツコツと積み上げていく取り組みで、たとえば高齢者の悩みや小さな希望をていねいに聞き「それでもこの地域で頑張りたい」という思いを掘り起こすプロセス。これに対し「掛け算のプロセス」は生産や販売などの事業を伴い、すべてが成功するわけではないが、掛け算のように大きく飛躍する可能性をはらんだ段階である。

 そして、この2段階を峻別することが大事だという。

「負の領域で『掛け算』をしてはいけない。符号が負の時に掛け算すると、負の数が拡大するだけだから」である。

 池谷集落では、「よそもの」と関わりのなかで足し算のプロセスがしっかり進められ、そんな「非市場」の土台があって「掛け算のプロセス」という経済活動が展開され、地域が元気になる「半市場経済」がつくられていった。

農家組織から地域組織へ 無茶々園の挑戦

 もう一つ紹介したい取り組みは『大地と共に心を耕せ —地域協同組合 無茶々園の挑戦』(愛媛大学社会共創学部研究チーム著)。僻地ともいってよい四国西南部に雇用と協働の場をつくりだし、年間販売額10億円、雇用90人を実現し、2016年度農林水産祭の表彰事業で「むらづくり部門」の「天皇杯」を受賞した取り組みだ。

 無茶々園は1974年、温州ミカンの価格暴落やグレープフルーツの輸入自由化、そして農薬散布による健康被害が地域で問題になるなかで、カンキツ農家の後継者3人による有機農業グループとして誕生した。その後、一楽照雄さんが中心となってつくられた日本有機農業研究会と出会い、「有機農業は商品生産としてではなく、自給をベースにした生産者と消費者との相互信頼を基礎とした提携というあり方以外に道は拓けない」という一楽さんの考えを基本において仲間を増やしながら産直(提携)活動を進め、やがて農家組織から地域組織へ変身していく。新規就農希望者の受け入れを積極的に進めて農場を増やし、ホームヘルパーを養成して農村女性による高齢者への配食サービスを開始、さらには「住宅型有料老人ホーム・デイサービス」事業も進めた。経済評論家の内橋克人さんが唱えるF(食料)、E(エネルギー)、C(ケア)に企業誘致に依存しないW(ワーク、雇用)を加え、FECW地域自給圏をめざす地域組織(地域協同組合)として多彩な活動を展開している。

 地元・愛媛大学の研究者や学生たちはこの活動に学び支援し、そんな活動を経て本書の著者である「社会共創学部研究チーム」が生まれた。無茶々園は共創学部における研究教育の一環であり、本書は学部理念の実現のための教科書として出版された。本書の末尾には、「段畑を有する風土とともに生きる道を選択せざるをえない」地域事情にふれたうえでこう記されている。

「このことが地域の暮らしや生き方をまるごと考える背景になっている。そして、企業化はしても経済性の追求に特化せず、地域組織としての姿勢を生み出し、地域の総合商社である株式会社、運命共同体である地域協同組合、福祉による地域を支える役目を実現させていったのだとみることができる」

 ここにも地域を支える「半市場経済」の世界がある。

危機を救った半市場経済 JA甘楽富岡

 無茶々園は「協同組合」であるが、最後にJAについて考えてみよう。

 JAは日本を代表する協同組合である。協同組合は本来、あらゆるものを市場経済化することを本質とする資本主義の弊害から、自分たちの暮らしと生産を守る協同の組織であり、半市場経済を担う志の組織である。

 その象徴として、本誌でも何度か紹介した群馬県・JA甘楽富岡の取り組みについて、改めて見てみたい。

「JA—IT研究会」という組織がある(会長・今村奈良臣、会員・53JA+1団体、事務局・JA全中、農文協)。2001年9月に設立されたJAの自主的な研究会で、2018年10月には「第50回記念公開研究会」を開催。先述の小田切徳美さんや日本生活協同組合連合会副会長・新井ちとせさんなど、JA関係者以外の方々の報告もあり、JAの使命をめぐって熱心な議論が行なわれた。

 この「JA—IT研究会」発足のきかっけになり、求心力にもなってきたのが、JA甘楽富岡の取り組みである。本誌2000年1月号では「祝2000年! 後継者が続々生まれる時代が来た!」という巻頭特集を組み、「直売部会はもうすぐ1000人!生産部会は4年で450人増! 群馬県・JA甘楽富岡の挑戦 農協が掘り起こす地域の農業の後継者」がトップ記事を飾った。

 JA甘楽富岡は5市町村から成り、正組合員約7400人。合併は1994年で、当時の売り上げは総額83億円。その後、右肩上がりに成長を遂げ、今年度はおそらく念願の100億を突破する。しかも、まったくの中山間地。

 このJA甘楽富岡の地域農業は1980年代から90年前半にかけて大変な困難を迎えた。貿易自由化の影響をもろに受け、かつて50億円あった養蚕の売り上げは1億を切り、コンニャクも30億から8億に激減。地域から70億円がふっとび、多くの農家が農業を捨てて他産業に向かい、遊休地もどんどん増えた。

 この危機的状況に対し、JAの営農事業本部長(当時)の黒澤賢治さんを中心に進めたのは、地域資源と地域の農家との新たな関係づくりであり、これをいかした直売所農業の展開であった。JAでは、水田転作や養蚕の衰退に伴い増加した遊休荒廃地の利活用と、地域の農家との新たな関係づくりを進めた。他産業に移った土地所有型農家や自給型農家に復帰を働きかけることで後継者を確保する。こうした地域の掘り起こしと直売所等の新しい販売チャンネルをつなぎ、「老若男女が活き、地域自然が活きる、『農』」をベースとした地域づくり」を進めたのである。

 特記すべきは「地域内資源の総点検」。地域内に眠っている作物(自家用に栽培していた作物、伝統野菜等)を洗い出し、それを直売所等のなかで商品化し、そのなかからインショップなどで展開できるもの、さらには共販に展開できるものを選定した。この「地域内資源の総点検」によって、108品目を超える作物が掘り起こされ商品化のめどが立っただけでなく、担い手農家と農地の掘り起こしにつながっていった。

 市場経済の荒波の後に進めたのは非市場的、半市場的な地域の自然と人々の営みの見直しであった。これを基礎にJAは農家の代表が中心になって運営する購買事業など、農家参加型の運営を徹底し、今日を迎えている。

「総自由化」という荒波の防波堤となり地域を元気な共創の場とする「半市場経済」を、田園回帰の流れも生かしながらつくっていきたい。


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