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下野新聞/2019/8/18 10:06
https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/208477

茂木文書

 鎌倉初期から戦国時代末期まで400年以上、茂木町の中心部を統治したのが茂木家だ。鎌倉幕府を開く源頼朝(みなもとのよりとも)が、宇都宮朝綱(うつのみやともつな)の弟で信任の厚い八田知家(はったともいえ)を地頭職(じとうしき)に任じたことに始まる。息子の知基(とももと)以降、茂木を名乗った▼1192年に記された任命状「鎌倉将軍家政所下文(まんどころくだしぶみ)」を、同町のふみの森もてぎで見た。800年も前の文書(もんじょ)というだけで息をのむが、一画一画丁寧に書かれた美しい文字に再度驚く▼「崩し字の書状と違い、役所の文書は楷書なので今の時代でも読める」と同館の大山恒(おおやまひさし)さん(24)。その茂木家の文書が、同館の3周年を記念して展示されている▼茂木家が秋田県に移ったのに伴い文書も茂木を離れ、400年ぶりに里帰りした。来年1月まで、3期に分けて約70点が紹介される。一つの武家に関する中世の文書がまとまって残っているのはまれだという▼後醍醐(ごだいご)天皇や足利尊氏(あしかがたかうじ)からの書状もある。群雄割拠の時代らしく、武田信玄(たけだしんげん)は仲間に誘う要請状を書いていた。今なお町に残る地名が多数出てきて、交通の要衝として栄えていたことがうかがえる▼研究者の間では有名なこの文書が、町民や県民に知られていないのは寂しい。刀剣や城ブームの陰で地味と見られがちな古文書だが、歴史を知るには一番の近道。しばし目を向け、タイムトリップしてはいかが。

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