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陸奥新報/2019/8/15 10:06
http://www.mutusinpou.co.jp/index.php?cat=2&終戦から74年「未来のために過去を学びたい」

終戦から74年「未来のために過去を学びたい」

 1945年8月15日、日本は終戦を迎えた。軍人のみならず武器を持たない民間人にも多くの犠牲を出した戦争だった終戦から74年を迎え当時を体験した人々は減りつつあり、先の大戦は「記憶」から「記録」へ変わろうとしている。
 戦争末期の45年、本州と北海道を結ぶ物流の大動脈だった青函連絡船は米軍の攻撃を受けており、今も津軽海峡には「津軽丸」「第三青函丸」「第四青函丸」が犠牲者とともに眠る。同年7月28日は青森市が空襲を受けた。同市中心部に古い建物が少ないのは、かつての空襲の被害によるところが大きいとされるが、復興を遂げた今となっては、戦争の傷痕はほぼ見ることができない。
 物理的な被害だけでなく、当時を生きた人々の心の傷もまた忘れてはならない。本紙でも戦争を記憶する本県出身者を取り上げ続けているが、一元的な善悪で割り切ることのできない数々の記憶が語られてきた。紙面に載らなかった言葉も、取材した記者たちの脳裏にある。
 極限的な状況下で、生存していたかもしれない人を助けられず逃げたことを、自身の痛みとして記憶していた人。「戦争が悪いとか死ぬことが怖いとか、当時は考えなかった。そういう教育はされなかった」と回想した人。命懸けで戦った一方で「日本は人間を大切にしない国だから、戦争はいずれ負けると思った」という元軍人の言葉も取材で耳にした。
 南方の戦線では米軍との圧倒的な兵力差の中、飢えと病に苦しみながら日本軍は猛攻撃を仕掛け、いくつもの隊が玉砕した。日本軍は他国の軍隊に比べて飢え死にする比率が高かったとされ、「生き恥をさらさない」などの精神論が重んじられた半面、食糧補給は軽んじられていたことが指摘されている。
 戦後、日本は驚異的な復興を遂げてきた。東日本大震災などの大きな災害も発生したが、混乱の中でも整然と列を作るなどして行動する日本人の姿は海外からも称賛された。忍耐強く、周囲に迷惑を掛けず、集団を維持しようとする精神性は美徳だが、権力に利用されやすい側面があることは否めない。
 日本には今も、困難に対して十分な備えをする前に「気持ちで乗り越えろ」と精神論で語る気風が残っていないか。我慢し過ぎる気質のためか同調圧力が強く、個性を生かした多様性が海外より育まれにくいともされる。
 戦争の記憶が継承されにくくなったとしても、日本が「戦前」と「戦後」で完全に分断されるものではなく、日本人の気質が一変したわけでもない。地続きの時代をわれわれは生きている。戦時中に日本人は何に耐え、何に努め、何を犠牲にしたのか。そこには今の時代にも通じるものが何かしらあるはずだ。
 今を知るためにも過去を学び、そして未来に向かいたい。


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