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高知新聞/2019/8/6 8:06
http://www.kochinews.co.jp/article/298689/

原爆忌/あの日をきょうにつなぐ

 照明を抑えた薄暗い部屋。大型ガラスケースの中に置かれているのは、破れて血の痕の残った学生服やかばん、弁当箱や水筒…。まるで散乱しているかのように見える。
 1945年8月6日、広島。建物疎開に動員され原子爆弾の犠牲となった学徒23人の遺品である。
 壁には当時の写真が展示され、爆風で折れ曲がった鉄骨、高熱で溶けた金属や瓦の塊などもむき出しで並べられている。破壊され尽くした街の中に一人、立ちすくんでいる錯覚に陥りそうになった。
 広島はきょう、長崎は3日後が「原爆の日」。それを前に、4月にリニューアルした広島市の原爆資料館を訪ねた。リニューアルに際し同館がこだわったのが、遺品など実物資料をより重視した展示に変えることだった。
 爆心地から1・5キロ。3歳だった鉄谷伸一ちゃんは、自宅前で三輪車に乗っているときに被爆。一人で葬るのはかわいそうだと、父親が亡きがらと一緒に三輪車を庭に埋めた。40年後に掘り出し遺骨を墓に埋葬、三輪車は同館に寄贈した。
 焼け焦げさび付いた三輪車からは幼い子が強いられた苦しみ、戦後も続く遺族の悲痛が迫ってくる。「もしもわが子だったなら」。子を持つ親の一人として、そう考えざるを得なかった。
 一つ一つに所有者の名前がある遺品は、見る者に強いリアリティーと当事者意識を呼び起こす。
 被爆者は年々高齢化し、当時の状況を語れる人が少なくなっている。実物資料の重視は、同館の危機感の裏返しでもあるのだろう。
 74年前のあの日、広島にいなかった者がそれでも当事者意識を持とうとするなら、想像力を働かせるよりほかにない。にもかかわらず世界では、それに逆行するような動きばかりが目につく。
 米軍は戦闘中の限定的な核兵器使用を想定した新指針をまとめた。核爆発後の放射線環境下で、地上戦をどう継続するかにも言及している。トランプ政権下の、核弾頭の小型化と連動した動きとみられる。
 だが原子爆弾は究極の大量破壊兵器であり、女性や子どもを含む非戦闘員まで無差別に殺りくする。放射線は世代を超えて人体に影響を及ぼす。小規模なら使ってよいというものでは決してない。
 米国とロシアが締結していた「中距離核戦力(INF)廃棄条約」も、米側の破棄通告を機に今月失効した。核兵器の先制不使用など核の役割低減を目指したオバマ前政権から、時計の針は随分後戻りしてしまった。それでも「核なき世界」への歩みを止めることはできない。
 唯一の戦争被爆国から被爆者がいなくなる日もいずれはやって来る。しかし、思いを受け継ぐ語り部や実物資料の力を借りて、被爆の実像に迫ることはできる。想像力によって、あの日をきょうにつなぐことはできるはずだ。
 鎮魂の日にその思いを強くする。


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