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東奥日報/2019/7/5 10:05
http://www.toonippo.co.jp/articles/-/215116

救済の枠組みづくり急げ/ハンセン病家族訴訟

 約90年に及んだハンセン病隔離政策により患者のみならず家族も深刻な偏見や差別にさらされたとして、元患者の家族らが国に損害賠償を求めた訴訟の判決で、熊本地裁は国に賠償を命じた。
 裁判で国側は「家族は隔離対象ではない」と強調。隔離政策が差別や偏見を助長したことは認めつつも、家族にまで及んでいないと主張した。だが、戦前、戦後に国策として患者の収容・隔離が強化、徹底される中で「恐ろしい伝染病」という偏見が広がり、患者はもちろん、家族も就職や結婚から近所付き合いに至るまで社会生活のさまざまな場面で差別に苦しめられた。その爪痕は深く、被害の訴えは後を絶たなかった。
 2001年5月の熊本地裁判決は隔離政策を違憲とし、元患者らに対する国の賠償責任を初めて認めた。当時の小泉純一郎首相が控訴断念を政治決断。国は元患者に謝罪し、補償金支払いや生活支援に乗り出した。だが家族は救済対象から外され、ハンセン病問題で残された課題といわれてきた。その克服なしに、全面解決はありえない。
 国にもまだ言い分はあろうが、国策が招いた偏見と差別が家族にも及んだことは否定しようもなく、なかったことにはできない。被害を訴える多くの声と真摯(しんし)に向き合い、早急に実態把握と救済の枠組みづくりに取り組むべきだ。
 かつて「らい病」と呼ばれたハンセン病の患者隔離は、明治期に始まった。海外から患者を放置していると非難され、1907年の法律制定を経て療養所に入所させる措置が取られたのだ。これにより、伝染力が強いという完全に誤った見方が広まった。
 31年には最初の法を改正した「らい予防法」が、53年には同名の新法が制定されて96年まで存続。隔離による「患者絶滅」政策が推進され、30年代から60年代には強制入所を社会に後押しさせる「無らい県運動」が全国で展開され、55年には最多の1万1057人が隔離された。また「不良な子孫の出生防止」を掲げた戦後の旧優生保護法は、不妊手術の対象とする病名に精神疾患や知的障害とともにハンセン病を挙げ、多くの人に不要な手術を強いた。
 40年代には米国で治療法が確立されていたにもかかわらず国は政策を改めようとはせず、元患者はもとより、その家族も社会における居場所を奪われて孤立した。偏見のため離婚や退職を余儀なくされた人もいれば、身内の入所を隠し、長年にわたり息を潜めて暮らしている人もいる。
 元患者家族は2016年2月に第1陣の59人が提訴。その後、10倍近い561人に増えた。先月末の熊本地裁判決は「隔離政策などにより、患者の家族が大多数の国民による偏見差別を受ける一種の社会構造を形成し、差別被害を発生させた」と指摘。また「隔離などにより、家族間の交流を阻み、家族関係の形成の阻害を生じさせた」と家族の被害を認定した。
 具体的な被害として「学校側による就学拒否や村八分」「結婚差別」「就労拒否」「進路や交友関係など人生の選択肢の制限」などを挙げた。さらに旧厚生省が遅くとも1960年の時点で隔離政策を廃止しなかったことや、国会が96年までらい予防法を廃止しなかったことを違法としており、国の責任ある対応が求められている。


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