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桐生タイムス/2019/4/9 16:05
http://kiryutimes.co.jp/editorial/15649/

対話が成り立つ場所を

 短期間のうちに繰り返し、同じ言葉に出合った。スペインの思想家オルテガ・イ・ガセットがしたためた言葉である。先日読んだ鷲田清一さんの著書の中でも、その言葉が強く光った。
 オルテガの著書「大衆の反逆」は1930年に出版された。30年といえば、スペインだけでなくヨーロッパ全体がファシズムの登場に危機感を募らせていたころ。日本でも、首相の濱口雄幸が東京駅で狙撃されて重傷を負っている。洋の東西で不穏な空気が漂い始めていた。
 「大衆の反逆」で彼は、自分の思想や考えの中に住みついてしまうことの危うさを繰り返し指摘している。他者の声に耳を傾けることも、理由を示して相手を説得しようともせず、「ただ自分の意見を断固として強制しようとする」。そして、そのことを自分に与えられた当然の権利なのだと主張する。そんな人々の主張が増えていることに対する危機感の表明である。
 「われわれの隣人が訴えてゆける規則がないところに文化はない」。この場合の規則とはおそらく対話のルールを指すのだろう。そのルールとは、自らの声を伝えようとする相手に対し尊敬の念を保つことであり、話を聞こうとする互いの態度であり、暴力によって互いを痛めつけ合わないという、自由な議論をするための前提ともいえる。
 生い立ちも、いまの生活や環境も、千差万別の人間なので、意見や考えが異なるのは当たり前。対立は決して悪いことではなく、むしろ大切なもの。
 問題は、異なる意見や考えが対立することもなく、分断されたまま、交わる機会を持たないことなのだと、オルテガは唱える。他者への敬意を失い、ルールに基づく対立の機会が損なわれた社会ほど、「未開であり野蛮である」と続けている。
 こうした言葉の前で立ち止まらざるを得ないのは、私たちが暮らす現在の社会もまた、対立を認め合う対話のルールを見失いつつあるのではないかという危機感がどこかにあるからだ。
 12日まで春の新聞週間。マスメディアの役割とは対話のルールに基づき、誰かの意見や考えを別の誰かに伝えること。声を上げにくい人に寄り添おうとする姿勢も忘れてはならない。
 政治もしかり。民主主義の根幹には、「力」の強い人が自己の力を抑制し、弱い人と共存しようとする意志があるはず。意識的であってほしいと思う。


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