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桐生タイムス/2019/3/12 16:05
http://kiryutimes.co.jp/editorial/15578/

手に負えるという感覚

 毎月最終土曜の本紙で「あれは何の光」という小さな連載を続けている。暗がりの中、あそこに見える光の正体は何、あの光はどんな意味をもつのかと、1枚の写真からひもとく企画なのだが、連載を始めたきっかけは東日本大震災の経験だった。
 8年前の3月11日、強い揺れが東日本を中心に列島を襲い、太平洋沿岸に押し寄せた大津波が多くの命を奪った。津波で破壊された福島第1原発からは大量の放射性物質が放出され、地域の住民は、故郷を離れるという選択を余儀なくされた。大容量の発電システムが失われたことにより、電力不足が叫ばれ、物資の供給は滞り、計画停電なども相次ぎ実施された。
 停電の中、ろうそくや懐中電灯の明かりでひとときを過ごしたが、あのとき、150キロ以上離れた福島第1原発と私たちの暮らしは直接つながっているのだと実感がわいた。津波被害に遭われた人や、原発事故で故郷を奪われた人びとに、気持ちを重ね合わせる時間でもあった。光の連載を始めた動機でもある。
 未曽有の事故が問いかけるのは、制御管理の難しい原子力エネルギーを扱う資格や覚悟が、この国の電力会社や政府、利用者である企業や私たち個人に、果たしてあるのかということ。
 事故は絶対に起きないという“合言葉”と国のエネルギー政策のもとで運営されてきた原子力発電である。危険を直視せず対策を後回しにし、今は何も問題ないから運営を続けるというスタンスだ。廃棄物管理も廃炉の段取りも「確かなことはいえないが、まずは走りだし、運営しながら解決策を探し出せばいいだろう」という見通しの甘さが、ここまでの事態を招いた。
 扱うエネルギーが大きくなればその分、リスクも膨らむ。人の手に負えないエネルギー源を手放し、自ら管理できる範囲にとどめる方針を打ち出すことこそ、大震災を踏まえ、いま求められているエネルギー政策ではないか。人は過ちを犯すもの、自然は人智を超えるものだという前提に立った処方である。
 大震災の後、自然とどう向き合えばいいのか、どんな暮らし方をすれば、人の暮らしに及ぶリスクを小さくすることができるのか、私たちは知らず知らずのうちに思い巡らしている。「私たち」のために誰かが被らなければならない困難があるとすれば、それを極力軽くするような視点こそ、大事にしたい。


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