main menu
サイト内検索
ログイン
ユーザ名:

パスワード:



パスワード紛失

新規登録
OpenIDログイン

OpenIDを入力

mixi Yahoo! JAPAN Google BIGLOBE はてな livedoor エキサイト docomo ID

ツッCOM

切り抜き詳細

福島民報/2019/2/22 10:05
http://www.minpo.jp/news/detail/2019022260518

災害と再生の痕跡/学問と行政をつなぐ

 遺跡や古文書などの史料には地震、津波、洪水、噴火といった自然の猛威の痕跡と、先人の足跡が刻まれる。災害が相次ぐ中、備えと再生の手掛かりを求めて、過去の営みに関心が高まる。考古学や文献史学、地理学、民俗学などの研究の積み重ねと、防災や減災の取り組みとのつながりを強める必要がある。
 県文化振興財団の遺跡調査部は一九七七(昭和五十二)年に設立され、四十年余りがたつ。農地、道路、ダムなどの開発の前に、県教委の委託で遺跡を発掘する。財団が一月に開いた講演会は「文書と遺跡が語る災害の記録」をテーマに掲げた。
 財団の調査によると、金山町の沼沢湖(沼沢カルデラ)が約五千年前に噴火した際に飛んだ軽石は、主に会津地方の遺跡で見つかった。この噴火で発生した火砕流は只見川をせき止め、その箇所が決壊して新潟平野までの大きな洪水が発生したと推定される。縄文時代前期の集落跡が見つかった相馬市の段ノ原B遺跡では東西九十二メートル、南北四~六メートルの地割れが発見された。
 遺跡調査部の担当者は「地形が変わるほどの被害を受けて居住できなくなったり、放棄されたりしたと考えられる場所もある。しかし、被害を受けた土地でも、ある程度の期間を空けて人が戻ってきた遺跡もある」と分析する。
 被災を乗り越えた痕跡も県内に残る。県文化財センター白河館「まほろん」(白河市)は企画展はま・なか・あいづ再生史を三月十七日まで開いている。相馬地方は約四百年前の慶長地震津波で被災し、復興のために塩田を開発した。干拓によって農地としても使われた。今は相馬地域総合開発が進められ、火力発電所と工業団地が整備された。
 中通りの阿武隈川沿いには、暴れる川を鎮めるために祈りをささげたとみられる跡があった。自然堤防の上に住居を造り、洪水で肥えた河畔を再生可能な畑として利用した様子もうかがえる。
 県地域防災計画には過去の災害が記され、県のホームページには最近の主な災害が示されている。個別に詳しい報告をまとめる場合もある。
 奈良時代からの県内の災害をつづる「福島県災害誌」は発刊から半世紀が過ぎる。学問の最新の研究成果と、行政が持つ情報を突き合わせたり、互いに補ったりしながら、集大成を目指してほしい。
 県内外の大学や調査研究機関などの専門家と、防災や減災の施策に関わる国、県、市町村の担当者が定期的に集まり、議論を深める場を設けるべきだ。(安田信二)

コメント一覧


 

 

©太陽と風と水, 2011/ info@3coco.org  本サイトについて