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桐生タイムス/2019/2/12 16:05
http://kiryutimes.co.jp/editorial/15498/

「第三の場所」を保つ

 なじみの店がなくなるのは寂しいもの。先日もそんな小さな店がひっそりと閉じた。どうしてやめるのかと店主に問えば、そこには経営面やら本人の健康面やらと、諸々の事情があるわけで、忸怩たる気持ちもうかがえる。客としては残念と思いつつも、受け入れるしかない。
 行きつけの店がなくなると、店を介して顔を合わせていた人との縁までも切れてしまうようで、寂しさの一因はそこにある。
 群馬大学工学部のОBから、サークルのたまり場として大学周りの喫茶店を利用していたのだと、以前うかがった。講義や研究の合間に時間ができると店に顔を出し、サークル仲間や店の人とのおしゃべりを楽しむ。
 卒業し、就職で桐生を離れた後も、こちらに帰ってくるときは店に顔を出し、自分がいまどんな生活をしているのか、仲間や店主がどうしているのかと、近況を交換しあう。そんな交流の場所だったのだという。
 先日のれんを下ろした一の湯でも、亡くなった経営者の吉岡藤吉さんが、群馬大学の学生たちとのつながりに触れていた。例年、桐生祇園祭に合わせ、ゆかりの卒業生が顔を見せる。和気あいあいとした交流が、祭りを活気づけていたというのだ。
 家庭でも職場でもない、もう一つの居場所のことを、社会学では「サードプレイス」というらしい。文字通り“第三の場所”である。聞き慣れない言葉かもしれないが、概念は私たちになじみ深い。先述した喫茶店も銭湯も、行きつけの人にとってはまさに第三の場所に違いない。
 食事をしたり、コーヒーやお酒を飲んだり、趣味の時間を過ごしたり、公園で遊んだりと、安価で過ごせる居心地のいい場所ならば、その資格は十分にある。そうした場所の存在が、新しい人間関係を生み、関係性を深め、ときに避難場所となり、自分がこのまちに暮らす理由を補強してくれたりもする。
 ここ数日、湯ららが閉まるという知らせに「残念」の声を複数聞いた。閉店は経営者の判断でもあり、仕方がない。ただ、事業の存続を望む声があるならば、誰かがそれを継承してほしい。また、継承を促す仕組みがあればいいとも思う。経営者が新しくなれば、新旧の顧客が交流する重層的なサードプレイスが生まれるかもしれない。
 居心地よく暮らすためにも、いくつもの第三の場所が確保できればいいのにと思う。


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