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デーリー東北/2018/11/25 0:05
http://www.daily-tohoku.co.jp/jihyo/jihyo.html?水俣病認定50年/救済は終わっていない(11月25日)

水俣病認定50年/救済は終わっていない

 水俣病が工場廃水のメチル水銀による公害と国に認定されてから50年になる。水俣病が確認された後、原因の工場廃水を止めるまで時間がかかり、被害を拡大させた。今でも患者認定の申請や損害賠償を求める訴訟が続き、救済が終わっていない。大きな責任は後手後手に回り対応が遅れた環境行政にあり、重過ぎる教訓を残した。
 熊本県水俣市が水俣病を公式に確認したのは1956年。3年後の59年に熊本大の研究班が「有機水銀説」を発表し、旧厚生省の食品衛生調査会も有機水銀化合物が主因と答申した。
 被害の拡大を防ぐには、この時点で原因企業チッソの操業停止を命じ、漁獲も禁止しなければならなかったが、公式確認から12年後の68年、国がやっと公害認定し、工場排水が止められた。
 2006年、環境相の私的諮問機関が水俣病の社会的、歴史的意味を包括的に検証した。ポイントは「チッソ工場排水を規制しなかった国の不作為が被害拡大を招いた」ことだった。
 被害者救済についても国の対応のまずさが指摘される。77年、国は認定について手足末端の感覚障害に加え、視野狭(きょう)窄(さく)など複数の症状の組み合わせがあることを基準とした。
 しかし、メチル水銀で中枢神経が侵される度合いで重症から軽症までさまざまな症状がある。同じ被害者なのに軽い症状の者を補償の対象から外すのは不公平、激しい反発が起きた。
 申請しても患者認定されなかった多くの被害者が訴訟を提起。関西水俣訴訟の04年最高裁判決は、国の認定を大幅に緩和し、一定の条件と感覚障害があれば賠償を認めた。さらに13年の最高裁判決は感覚障害だけで水俣病と認定している。
 その後、国は認定の運用指針を見直したが、最高裁判決が確定するまで40年近く救済のハードルを高くしたままだった。
 09年の水俣病特別措置法で政治救済として約3万2千人に一時金210万円が支給された。しかし、対象は限定された。民間医師団の調査では、対象から外れた多数の人たちに同じ症状を確認している。約2千人が認定を申請し、約1600人が訴訟で救済を求めている現状を見れば、半世紀がたっても解決には程遠いと言わざるを得ない。
 昨年発効した水銀と水銀化合物による環境汚染と健康被害の防止を目指す国際条約は「水俣条約」と命名された。同じ悲劇を二度と繰り返さないために日本は率先して行動する義務を負っている。


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