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河北新報/2020/10/18 8:00
https://www.kahoku.co.jp/editorial/20201018_01.html

学術会議在り方論議/歴史踏まえ介入を撤回せよ

 日本学術会議を巡る問題で、政府・自民党は同会議を行政改革の対象とし、在り方を見直す作業に入った。
 6人の任命拒否という事の本質から目をそらし、反発するなら組織に手を突っ込み、予算を引き揚げるという脅しにも取れる。
 どうしてこんな論点ずらしがまかり通るのか。
 案の定、学識者らは「戦争の反省の上につくられた歴史に汚点を残す」と学問の独立を揺るがす行為と見なす。
 ここで、学識者の言う「戦前にあった国家による思想統制と排除」とは何を指すのだろう。
 古い話ながら、この点を見落としては学問の自由を語ることはできない。しばし、史実をひもといてみたい。
 「京大法学部の滝川幸辰(ゆきとき)教授を休職処分とする」。1933(昭和8)年5月、文部省(当時)から大学に通知が届いた。
 滝川の刑法理論を「反国家主義的」と捉えた政府は、プレッシャーをかけたものの、法学部教授会は拒否、ついに強権発動となった。
 これに抗議する活動は東北大など他の大学に及んだ。処分は覆らず、滝川をはじめ、8教授は職を去った。後に「滝川事件」と呼ばれ、大学自治の墓標と語られることとなった。
 2年後、「天皇機関説事件」が起きる。憲法学者で東大教授を務めた美濃部達吉は、日本という国家を法人とし、統治権は国家にあるとした。
 天皇は法人の最高機関として権限を持つと唱えた。学界、官界で広く公認されていたが、35年2月の国会で「天皇を機関とは不敬でないか」と批判された。
 岡田啓介首相は当初、美濃部を擁護した。退役軍人や保守政治家の圧力に抗し切れず、学説の否定に転じる。
 美濃部は貴族院議員の辞任に追い込まれ、著書は発禁処分となった。
 国家権力と真理の追究とのせめぎ合いは、古今東西に潜む問題だ。日本の場合、こうした過去を十分に検証、総括をしないまま戦後の民主主義を迎えた歩みを持つ。
 学術会議の任命拒否の背景として、同会議が軍事研究への協力に慎重な点を挙げる声も自民党内で聞かれる。
 戦時中、科学者が協力した反省を踏まえれば、おいそれと乗るわけにもいくまい。
 かつて学問を志す学生に、教授はこう言った。「滝川事件、天皇機関説事件を知っているか。それでも学者になる覚悟はあるか。ないのなら他の仕事を探しなさい」。それほどに重いものをはらんでいる。
 学術会議も学会の利益代表であるとか、閉鎖性などの問題点を指摘されている。思い当たることには、自らの手で襟を正せばいい。
 一足飛びに政治権力がしゃしゃり出るのは、無理筋であり、次元の違う話である。


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