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中日/東京新聞/2020/2/23 8:00
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2020022302000127.html

週のはじめに考える/恐れのなさに恐れ入る

 「いえいえ、怖いですよ、今でも」
 小さく笑いながら、森光子さんはそうおっしゃったのでした。無論、まだお元気だったころ、もう十年以上前になりましょうか。舞台『放浪記』の名古屋・中日劇場での公演の際、楽屋を訪ねて、お話をする機会があったのです。
 「恥ずかしいけれど、危ないところは、こうやってあるの」
 そう言って、自分の台詞(せりふ)にたくさんの赤い線を引っ張った台本を見せてくれました。
 「恐れ」を口にされたのは意外でした。名にし負う大女優、しかも、その時、公演既に二千回になんなんとする十八番(おはこ)中の十八番。自家薬籠中のものどころか、余裕綽々(しゃくしゃく)で演じておられるのだろうと思い込んでいたからです。
 一般に、恐れるとか、不安がるというのは、前向きな感情とは言いにくいところがあります。何事であれ、大丈夫か、しかられないか、などとびくびくしているような態度は小心翼々、消極的だとそしられがちです。
 しかし、逆に、恐れこそが、失敗や事故のリスクを軽減するということもあるはずです。
 吉田兼好の『徒然草』には、木登り名人が、木に登っていた弟子に、かなり下まで下りてきた時に初めて「気をつけろ」と声をかけ
た、という話があります。高い所では恐れを感じているが、もうほ
とんど下りてきたという時、恐れが慢心に変わる。そこが一番危ういのだ、といったことを名人は説きます。
 森さんの話にも通じましょう。希代の女優の「怖い」とは、慢心とは対極の謙虚さ、言い換えれば芸能への敬意の裏返しではなかったでしょうか。観客を、作品を大事にしているからこそ、あのキャリアにして、なお「怖い」だったのだと思うのです。
 翻って、最近の安倍首相の振る舞いに思うのは、まるで正反対のこと。たとえば国会で、例の「桜を見る会」に関連する野党の追及に応じる様子には、「恐れ」など微塵(みじん)も感じられません。
 桜を見る会の前夜に行われた懇親会の件では、ホテルとの契約などをめぐり「問題ない」としてきた首相の主張は、ホテル側の見解によって否定され、いよいよ弁明にも窮した感がありますが、「あれは一般論」と言い募って、なおも平然としたものです。
 あまつさえ、行政府の長が、野党議員に「意味のない質問だ」とやじまで飛ばす始末。
 さらに驚くのは、ある検察官の定年延長の件です。「検察庁法」には定年延長の例外規定がないのに、別の法律である「国家公務員法」の例外規定を当てはめる、とは、あまりにご都合主義。法治国家のリーダーにあるまじき無理無体だと野党が批判するのも当然です。しかも、聞けば、政権に近いとされる当の人物を、場合によっては政権の犯罪を暴く側にもなる検察トップ、検事総長に据えるがための強硬策らしいのです。
 どうでしょう。こんな強弁とはぐらかしばかりの答弁を続けていたら…やじなんか飛ばしたら…こんな強引な検察人事をやったら…国民に嫌われるんじゃないか、と恐れるのが自然じゃないでしょうか。だから、普通は思いとどまるし、慎むし、改める。でも、首相は違うのです。その恐れのなさには、恐れ入るほかありません。
 『パブリック・エネミーズ』という十年ほど前の米映画は、一九三〇年代に銀行強盗を繰り返した実在の犯罪者ジョン・デリンジャーを描いた作品です。一般客の金には手をつけないなど“紳士的”振る舞いで大衆に人気があったそうで、映画にも仲間に誘拐を持ち掛けられた時、こう言って断るシーンがあります。「誘拐は好きじゃない。大衆が嫌う」
 当時、当局に「社会の敵ナンバーワン」と呼ばれた犯罪者でさえ世論の反応を恐れたのか、と思えば、首相のあまりに超然とした態度には違和感を禁じ得ません。
 「恐れ」が生じるのは、多分、森さんが舞台をそう思っていたように、大事にしているものへの気持ちが強いからこそで、それが強いほど、恐れも強くなるのでしょう。だとすれば、首相にとって国民や国会はさほど大事ではない。そんな理屈になりましょうか。
 もっとも、圧倒的な与党の数の力、ライバルの不在、史上最長政権の実績、そこに、何があっても支持率は底堅いという確信が加われば、誰でも「恐れ」など忘れてしまうものなのかもしれません。
 だがしかし、それでもやはり、です。主権者の国民、世論を恐れず、政(まつりごと)をほしいままにできてしまうような状況はあまりに不健全。そう、まるで民主主義国家でなくなっていくような…。私たちも恐れを抱いてしかるべきでしょう。


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